なくなりそうな世界のことば / 吉岡 乾
先般鑑賞した韓国映画『マルモイ』。戦時中の朝鮮半島にて、日本軍による言語統制の最中、母国語である朝鮮語を後世に残すため力を尽くした人々の物語。
普段何気なく話している母国語。その母国語が突如禁止され、他国のことばを強要されることの非情さ。この映画を通して、当たり前のことがいま存在していることへのありがたみを確かめることができる。
私は一冊の書籍を心に思い浮かべた。『なくなりそうな世界のことば』数年前に購入してぱらぱらと目を通す程度には読んでいた。しかしながら、果たしてその時の自分がことばの存在と真摯に向き合っていたかは疑問が残る。そこで、改めて読むことにした。
この本によると、世界で話されている言葉はおよそ7000。その中から、50の少数言語のことばを紹介してある。母国語として多く話されている言語は、1位中国語普通語、2位スペイン語、3位英語。ちなみに日本語は上から9番目に多く話されている言語らしい。
その日本の少数言語も1つ取り上げられている。北海道で使用されているアイヌ語である。全国にはアイヌの人口は10万人ほどいるとのことだが、流暢に話すアイヌ語話者は5人程度。
書籍の中では以下のように説明されている。
「捕えた小熊(の姿をした神様)を、一定期間、大事に村で育て、お祈りをしつつその肉を村人全員で、心からの感謝とともに食べて、その魂を神の国へと送り返す祭。神様は、ヒトの世に降りて来るときには動物などの姿に化け、その身の肉や毛皮をヒトへのお土産として持参するのだという。」
その土地の風習や伝統に根差したことば。ことばと文化がしっかりと結びついている。著者は「ことばとは、それぞれが、世界を見わたすための独特な窓のようなものです」と表現している。経済的にあるいは政治的に有用性がある言語であるとか、国際的に便利な言語であるとか、そういった視座ではない「ことばの存在」を大事にしたい。ことばはその力を超えて、自分以外の他者を理解しようとする心を育む。いま私たちがもっとも必要とし、また失いかけているものではないか。
映画『マルモイ』の中でこんな台詞がある。
「ことばは民族の精神の器」
その器は日頃から手入れをしぴかぴかにしておかないと、不必要に消滅させられたり、いつの間にか消え去ってしまったりする。
過去は、現在そして未来にそのことを強く訴えかけてくる。