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買えない味 / 平松 洋子

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いまの部屋に引っ越した時、生活用品の多くを無印良品に買いに行った。店内には、生活や食にまつわる書籍が数多く書店さながらに並べてある。何気なしに手に取った文庫本のタイトルと表紙が気になる。内容はまったく読まずに「何かよさそう」と直感で購入。しかしそれから数年が経ったまま今年を迎える。

先月4月半ばのこと。政府のコロナ対応の不手際に日本中が呆れ果てている中(現在はさらに状況は改善どころか悪化の一途だが)、週刊文春を初めて購入。実はいままで扇動的な内容だろうと思い隅々まできちんと読んだことがなかった。しかし、読んでみると社会、政治、芸能だけでない生活にまつわる記事もあって意外だった。なかでも平松洋子氏の連載「この味」は、平易な言葉から紡ぎ出される日常の機微が、豊かな日本語表現にて綴られている。

「待てよ。そうだ、数年前に買ったあの文庫本って、この方じゃなかったかな」

慌ててクローゼットのなかを掘り起こし、ようやくお目当てのものに辿り着くことができた。その文庫本こそ、今回紹介する『買えない味』である。

この本は、食の雑誌『dancyu』で連載されていたエッセイを編集したもの。「そういうことか」とここでも深く頷いてしまう。dancyuと言えば、圧倒的に筆の立つ方々が文章を担当しているたいへん有名な雑誌。その雑誌で長きに渡り連載をなさっていた方だったとは。読み始めからあとがきまで、普段接することのない文章の世界が広がっていたのも納得。とりわけ最初の「箸置き」のなかにあるこの一節は、我を振り返るよいきっかけを与えてくれた。

 

「ああそのかけがえのなさは、誰しも身に染みてわかること。身すぎ世すぎ、どんなに世間でつらい思いを重ねても、自分には「戻る場所」(この際「家庭」でも「愛人の懐」でも、事情とお好み次第)が待っていてくれると思えば、歯を食いしばって耐えられる。長旅を続ける渡り鳥がどこまでも飛んでゆけるのも、寅さんが気ままにぷらり行方知れずになれるのも、自分には「戻る場所」がひとつはあると知っているからなのだ。」(『買えない味』P13より)

 

社会、経済、政治、生活、健康などあらゆる礎になる存在とは何か。私は家だと思っている。家を整えることは、基盤を整備すること。愛犬リオンさんが我が家に来て、早9年が過ぎようとしている。その頃から、毎朝の日課として、散歩、トイレと家中の掃除を欠かさずに続けている。さらにお風呂や玄関も頻繁に掃除をし、清潔を保っている。なぜなら、きれいな状態だとずっとそこにいたいと思うし、また戻って来たいと思えるから。「箸置き」の一節を読むとこんなことを思い返す。

 

「買えない味。そのおいしさは日常のなかにある。」

あとがきにある一文。「ストレスがたまる」という意見をよく耳にする昨今、楽しいと感じるきっかけはいまの日常にこっそりと潜んでいる。見つけ出すのも、見落とすのも、自分自身に寄るところが大きいのではないだろうか、私はそう思う。