もともと自分事
日頃より海外の新聞や通信社の記事を目にするが、今ほど自分の人生や世界情勢を危惧しながら読んでいることはない。いち早く正確な情報を得ることこそが、極めて重要だと思う。冷静に正しく理解し、指図を受けてからではなく、自分で考えて行動する。そしてコロナウイルスが収束した世界で私たちはどのように生きていくのか。混乱前とはまったく異なる未来。「いまを伝えることば」を一つひとつ見つめることで、二歩三歩先を見据えて進めていければ。そう願い、始めます。
5月5日付 the japan timesサイト内 ASIA PACIFICより。
中国政府による厳格な出国規制に翻弄される人たち。記事ではある家族の苦難を伝えながら、世界各国から指摘される中国の対応について触れている。なぜ出国できないのか、どのくらいの件数が発生しているのかという実態がすらいまだ掴めない状況。新型コロナウイルスが引き起こした世界的大混乱についても、中国の言動は被害者観点が前面に出るあまりどこか不気味に感じるのは私だけだろうか。
本日のことば
remedy
「治療(法)、医薬品」という意味で知っている方も多いと思う。それ以外に「救済法、改善法」「法的救済、権利の実現方法」という意味でもひんぱんに使われる。今回は後者の意味。
中国の国家体制は日本とは異なる。この記事で扱われている中国における人権侵害問題は、日本人としてはどうも納得がいかない。いくら社会や制度が別物とはいえ、政府が国民の自由を容易く制限できるものだろうかと疑問に思う反面、「中国だから」と勝手に自己完結している人も多いのではないだろうか。
日本ではコロナ禍の中、さまざまな「自由」が制限されたことにより不満とストレスが社会に立ち込めているように感じる。私は、日本における今回の大混乱は3つの禍があると考えている。医療の崩壊、社会・経済の崩壊、政治の崩壊である。現時点ではどれも崩壊までには至っておらず持ち堪えているように見えるが、その内側は想像以上に蝕まれ疲弊している。
特に政治の崩壊は顕著である。ここ数年の日本はどこかおかしい。何か胡散臭い。この混乱に至ってからも、政府の対応にirrelevanceということばがいつも頭の中に浮かびずっと駆け巡る。
「火事場泥棒」
コロナ禍の責任を大いに負うべき政府が、さらに汚名を受けるという滑稽さ。どの国を見渡してもこの混乱下で不要不急の法案を議論している国はない。命は尊く、失えば二度と戻って来ることはない。今後は中国についての報道を見て「中国だから」という一言で片付けることはできないであろう。これもコロナおよびポストコロナ時代における変化の一つか。
最後にマーガレット・サッチャーのことばを紹介する。
“There is no such thing as society. There is [a] living tapestry of men and women...and the quality of our lives will depend upon how much each of us is prepared to take responsibility for ourselves."--Margaret Thatcher, 'Interview for Woman`s Own ', Margaret Thatcher Foundation, 23 September 1987.
有名なインタビューでの発言だが、今ほど骨身に染みることはないだろう。
ちなみにirrelevanceとは「不適切、見当違い、見当違いのことば、的外れの質問、時代遅れ、重要性のないもの」という意味。残念なことだが、どれもが今の日本政府に当てはまる意味ばかり。憚れることだが、申し上げる。