リスニングと発音
今回の「ことばを学ぶ」では、リスニングと発音との関係について書いていきます。日本人は意外に読み書きより聴くこと(以下リスニングで統一)の方が得意ということを聞いたことがあります。本当でしょうか?
私はそもそもリスニングが苦手でした。大学生の頃から、どのようにして勉強してよいのかも分からず四苦八苦。しかしながら、発音は当時からそれなりにできていたように思います。
社会人になり一念発起して語学に取り組み始めた時も、実はリスニングが一番のネックでした。とは言え、通訳ともなればいかなる時も一音も聴き逃すことは許されないはず。そこで取り組んだのが、以前も紹介したオーバーラッピングとシャドーイングでした。耳で聴いて自分の口で音声化することです。
この訓練を数年続けているうちに自分の変化に気づきました。それは、発音だけでなくリズムやイントネーションも数段質が良くなってきたこと。そして同時にリスニングの能力が飛躍的に伸びたことをつくづく感じました。もっとも不得意だったことが一番得意に感じるほどになりましたね。
なぜでしょうか?私たちは常日頃日本語を話しているとき、知らず知らずのうちに自分が発していることばの音を耳で確認しながら調整しています。言い間違えがあれば言い直しますよね。先に紹介した訓練を続けることは、耳で聴こえている英語に自分が発している英語を近づけようと自然にしているのです。(私の持論です)すなわち、発音を上手くすることでリスニングの能力は向上し、またその逆も然り。私が学生のころから発音がある程度できていたことが、リスニング能力を上げる一要因になったのでしょうか。
私は思うのです。100年以上前の方ですが、視力も聴力も奪われたヘレン・ケラーはサリヴァン先生と共にことばを手に入れていく。ご自身のやり方で、ゆっくりと、ていねいに。今回の考えからすると、ヘレン・ケラーはとんでもないことを成し遂げたということです。面倒くさい、時間がない、やる気がない、自分事ではなく他人事のこと。挙げていくとキリがありませんが、ひとつだけはっきりしていることは学べる機会があるうちに取り組むことです。後ろ髪は掴めません。自省も込めて。
次回の「ことばを学ぶ」では洋雑誌について触れていきます。
今日のことば
Common sense is very uncommon. / Horace Greeley
(常識的な判断力には、めったにお目にかかれない)